眼科での治療を終えて内科へ、10ヶ月の入院生活が始まりました。
個室にいたときのことです。
もくじ
内科でパルス療法スタート
初の個室での入院生活
自覚症状はなっかたけど腎臓も悪くなっていたのですぐに、パルス療法が始まった。
副作用で、食欲が止まらない。怖いくらいの食欲。
初日の夜、転んで左の眉から流血
消灯後トイレに行きたくなり、病室から出てトイレに向かう途中意識が遠くなりそのまま倒れた。
看護師さんに名前を呼ばれて目が覚めるなり
「トイレに行きたいです」とわたし
ベットまで運ばれて無事に用を足し ホットしていたら
ベテラン看護師さんが病室にきて「個室にトイレあるから」と
わたし あっ!そうか! トイレ病室にあった!個室慣れてなくてトイレあるのわすれていた!
倒れたときメガネが壊れて左のまゆから出血し血液をサラサラにする薬を(ワーファリン)5錠飲んでいたので出血が止まらず大変だった。
幸い、眼科の主治医がいてくれたので、まゆを縫ってもらった。しばらく、左の顔はあざだらけ。
パルス療法と腎生検
パルス療法とは・・・
パルス療法(ぱるすりょうほう)とは、薬を服用する期間と服用しない期間を周期的に繰り返す治療方法である。
例えば、薬を1週間飲んだら、次の3週間は飲まない、というサイクルを3~4回繰り返す。ステロイド剤を短期間に集中的に投与するステロイドパルス療法が代表的である。
https://www.kango-roo.com/
わたしの場合は、3日パルス療法2日休むを3回繰り返したけど数値はよくならず、もう3回パルス療法して腎臓の数値が落ちついた。
今、現在も数値は落ちついています。
すいかの思い出
腎臓の数値がなかなかよくならなかった時期、母が病室まですいか🍉を持ってきてくれて, 毎日食べていた。その、おかげもあったのかな?
今では、よい思い出です。
腎生検を気合で拒否した!
パルス療法後、腎生検をすることになっていた。
当日、熱がでて延期になった。2回目も、熱を出し中止になった。
内科に入院してから発熱はしていなかったので、いやでかな?、体力無くてかな?
身体が拒絶反応を起こした!と思っています。
入院してホッとした瞬間
左目失明、全身性エリテマトーデスで入院。ベットで寝ながら
「あー これで、仕事しなくても誰にも責められないんだ よかった」と
心からホッとした。安堵した。
何年ぶりかに、、、
でも、ホッとしたのもつかの間で、直ぐに現実と向き合う時がきました。
左眼失明は悲しくて、もう、人生終わりなのかなとまで思いました。
イライラしていて、お茶碗の内側の白と白米の白が同じように見えて、区別がつかないと言って、泣いたりしてました。
その姿を眼科の先生には見せてないはずなんですが
主治医に「何もできなくなったって思ってない?」と聞かれ
「ハッ」とした。わたしです。
少し冷静になれたのか、あたりまえに気づき感動しました。
病衣のボタンをしたり、外したりすることが
自分でできる!!と感動しました😂
そてと、見えてるなあ。右眼。
(しばらくは、見えてるではなく、のぞいている。みさせてもらっているという感じだった)
心がふるえた。そして、走馬灯のような出来事
内科に入院して数日は、母か姉に付き添ってもらっていたので不安ではなかったのですが、そのうちに夜はひとりになることに、不安と恐怖でいっぱいになりました。
あまりにも不安だったころ 姉が「星野富弘さんの画集」を持って来てくれました。
見た時
ボロボロ泣きました。ワンワン泣きました。
心がふるえました。
変な表現ですが 人としての温もりを感じた。人としての自分の中の何かを取り戻しているよな感覚
病気する前のわたしは、どれだけすさんでいたのかと、、、
あと、そんなに信仰心もなかったのにお経を、一生懸命唱えていました(まさに、藁をもつかむ です)
これが、もしかしたら走馬灯かも
現実と直面し、もうどうにもならない状況
薬の副作用と恐怖心。星野富弘さんの画集
ある日の夜眠れない 多分次の日も眠れずにいた
すると、今までの人生の嫌な思い出が怖いくらい思い出された、
家族に言ったことばや態度、同級生に言ったことばなどが走馬灯のように
本当に耐えがたいものだった 立ち直れないと瞬時に思ったら
家族にごめんなさいの手紙を書こうと心から思った。
で、次の瞬間
とても、楽しく温かい 笑顔の家族の姿が走馬灯のよに思い出され(こんな楽しい瞬間あったんだたわすれてる)
心から安堵しこれで、生きていけると思えたんです。不思議でした。
その朝、ずっと泣いていた。看護師さんに声をかけられてもずっと
自分でも、なぜ、こんなに泣いているのか?
主治医がきてもずっと泣いていたら
あわてて四人部屋に移ることになった。