1993年の夏
全身性エリテマトーデスと診断され、左目を失明しました。
全身性エリテマトーデスと診断された数ヶ月前、パン屋さんで製造の仕事をしていた頃から大学病院に行くまでのことです。
肩が痛い背中が痛い動けない
元々、あまり身体が丈夫ではなかったけど、どうにか仕事をしていた。
日々、心身ともにスッキリした日などなく、とにかく休んではダメ(周りの人たちに怠けていると言われたくない、思われたくなくて)と思いながら仕事に行っていた。
正直、働く時間もっと短くてもいいよー、休みももう少し欲しいと思っていた。でも、そんなこと言えなかった、だって、周りの人たちに怠けていると言われたくない、思われたくないから、、、
でも、そんな日は長く続かなかった。
慢性的に肩こり、身体のダルさがあって、それがいつの頃からか肩こりが痛みになり、肩から背中の痛みになっていった。
ただの使い傷めかな?と思っていたので
いつものマッサージの他に、いくつかの整体にも行ってみたり、整形外科は肩のレントゲン、注射に湿布。注射で、一瞬痛みはやわらぐけど、またすぐに痛くなる。
どんどん痛みは強くなり、肩、背中、足。と痛みが広がっていき、仕事どころではなくなった。
家にいても痛みはひどくなり、ひとりでは立ち上がることもできなくなり、微熱もあり食欲もどんどんなくなっていった。
リウマチと診断され入院
とにかく、手の人差し指と、足の親がめちゃくちゃ痛くて腫れていくのがわかり、座薬をいれてもらっていた。クスリの効きめがきれるとまた、激痛がやってくる(´;ω;`)の繰り返しだった。
初めに入院した病院では、リウマチと診断されて、ステロイドを1錠飲むことに、病院の味付けの食事はほとんど食べられなくて点滴、微熱も続いていた。
お見舞いで持って来てくれたオムライスなどは味がしっかりしていたのでどうにか食べれたけど、トイレで吐いていた。血も一緒に。
後、便座に座ると左側のオシリの感覚がなくなっていたことに気づいた。
でも、不安過ぎて、怖すぎて、吐いたことも、オシリの感覚がないくなったことも誰にも言えなかった。
左目が見えないくなっていく
もう、気力も体力もなくなっていた。いろんな感覚がおかしくなっていた。
こちらに入院してしばらくすると、こんどは、舌の真ん中に大きな口内炎がでて診察してもらった日。
急に、左目が見えなくなり、急いで、近くの眼科に連れて行ってもらい診察してもらった、目薬をいれてもらった瞬間見えるようになった。けど、またすぐに見えなくなった。 そのような状況になってもう、気力が無くて焦ったりしなかった。
眼科の先生に大学病院への紹介状を書いてもらい、次の日大学病院に行くことになった。
すぐに高圧酸素治療へ
大学病院の眼科で診察待ち、長時間待っていた気がする。身体がダルく長椅子に横になりながら、不安なのか、しんどいのか、勝手に涙が流れていた。
いざ、順番がきて診察してもらうと、即入院。即高圧酸素治療スタート。
何がなんだかわからないうちに、大きなカプセルの中へ入ることに、
その頃、付き添で来てくれた姉は入院手続きやなんやかんやでお忙しだったよう。
手続きを終えた姉が、高圧酸素の治療室まで来てくれた。姉の顔をみたら安心して泣いていた😭
高圧酸素治療をしながらいろんな科へ診察するもなかなか病名がつかない。治療が受けられない。
相変わらず痛みが出たら座薬。食欲なく点滴。
あまりにも食べないので、母が売店で買ってきたそうめんをわたしにすすめてくるけど、見るのも嫌だっので拒否。
母方の親戚が、ゾロゾロやってきた。まだ、入院して数日なのに、、、 なぜ(・・;
どうやら、主治医に今のままの状態だと、命がヤバいかもと言われたらしい。(当の本人は、命の危機は感じていなかったよ)
高圧酸素治療をするも左眼は見えない、主治医が、あと、3日やってみようと言ってくれたのでやってみるも、左眼が回復することはなかった。
主治医には、この治療は24時間以内が勝負でそれを過ぎると、厳しいと言われた。
で、左眼は、見えることはないとハッキリ言われた。
全身性エリテマトーデスと診断
いくつかの科を受診しても病名がわらかなかったのに、眼科の病室に姉といた時、突然、知らない先生がやってきた。
その先生は、わたしの首とワキを軽く押さえながら
笑顔で「大丈夫だから」とだけ言って、去っていった。
そしてすぐに、別の点滴治療が始まったら嘘のように痛みがなくなった。
めちゃくちゃ驚いた!!!
そして、嘘のように食欲も戻ってきた!!
もうひとつ驚いたのが、大量のクスリ。
クスリだけでお腹いっぱいになっちゃうよ😆
そして、眼科の主治医から病名を 「全身性エリテマトーデス」と言われた
けど、わたしは、??? なんにそれ?だった。
この時は、聞いたことのない病名より、左眼が見えたくなったことの方がショックだった